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【パクリ?】令和の由来が万葉集だけでなく、本当の出典が中国古典「帰田賦」の可能性

新しい元号が「令和」に決定した。政府は、この元号の典拠を日本最古の歌集である万葉集だとし、歴史上初めて、日本の書物を出典とした元号になると宣言した。しかしながら、この万葉集の一節が、中国古典の一節を参考にしたもので、結局、これまでと同様に漢籍からの出典なのではないかと話題になっている。

令和の由来

官房長官が説明した「令和」の典拠は、万葉集梅の花の歌三十二首の序文

師の老の宅に萃まりて、宴会を申く。時に、初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぎ(初春令月 気淑風和)、梅は鏡前の粉を披(ひらき)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す

から引用したものだとしている。この意味は

大伴旅人の邸宅に集まりて、宴会を開く。時に、初春の何事をするにもめでたい月が出ていて、空気はよく風は爽やかに、梅は鏡の前の美女が装う白粉のように咲き、蘭は身を飾った香のように薫っている。

であり、令月は何かをするのにめでたい月を意味し、また和は、和やかの意味がある。令和という元号は、悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたいとの願いを込めたと安倍首相は語った。

しかし、この「初春令月 気淑風和」とよく似た文章が、中国の古典にも存在する。それは張衡「帰田賦」の中にある一節である。

於是 仲春令月 時和氣清

意味は、「春半ばのめでたい月よ。時節は和やかで、空気は清らかだ。」となり、意味としても万葉集のものと一致している。作者の張衡は西暦78年から139年の人物とされ、万葉集が成立した7世紀後半よりもずっと昔のことである。

パクリなのか?

一部では、中国古典からパクってきたと騒いでいるところもある。万葉集のこの序文を書いたとされる大伴旅人は、張衡「帰田賦」を読んでいたことは疑いようもないと思う。ただ当時は中国文化の影響が強く、漢籍の素養があることを示すために、引用や借用は普通に行われている。今風に言えばインスパイアされる形で書いたものだとも言えるだろう。

したがって、和歌の本歌取りのように句の一部を借用するというのはよくあることで、パクリという性質のものではない。辞書で令月を引けば出てくるので、日本政府もたぶん中国古典には載っていることを知っていて、あえて初めて日本の古典から出典したとアピールしたのではないか。まさか知らないということはないだろう。

また、張衡「帰田賦」は『文選』に収められており、過去の元号では『文選』からの引用が25回もあり3番目に多い(1番目多いのは『書経』の35回、続いて『易経』の27回)。

今まで漢籍から出典することを伝統としてきて、ここに来て急に国書出典になったために、反発する人も少しはいたが、表向きには万葉集由来ということで一般人の関心も高まるし、その万葉集漢籍から影響を受けていますよというハイブリッドな解決策は上手いと思う。

ただ「帰田賦」は張衡が腐敗した政治に我慢できず、田舎に帰ったときの句とされ、ここの「令月」の意味である「何かをするのにめでたい月」の何かは田舎に帰ることだと考えられる。中国古典を原典とすると、あまり良い意味のならなかったので、『万葉集』が由来というふうに変えたのかもしれない。