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【青ブタ】『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』物理学用語の解説と考察

アニメ『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』はセカイ系SF学園ラブコメ群像劇で、原作は『さくら荘のペットな彼女』の鴨志田一による電撃文庫ライトノベルだ。私は原作を読んでないので、原作のことは知らないがアニメはキャラクターが可愛らしく、思春期症候群というガジェットを使って面白い作品になっている。観た印象では『涼宮ハルヒ』に近い。バニーガールだし。私はやれやれ系主人公があんま好きではないので、主人公の性格を変えてくれと思わないでもないが、何度も言うが女の子は可愛いのは間違いない。

タイトルがフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のパロディーとなっていることから分かるようにSF要素も強い。作中では思春期症候群という不思議な現象を説明するために、登場人物の理央が、既存の物理学の用語を多数使用する。そこで物理学の用語の解説を『青ブタ』の考察を兼ねて、ここに残しておきたいと思う。

用語の解説は平易な解説書に載っているレベルで専門的なものではないことに注意してください。難しい解説をしようと思っても、複雑になるだけだし何より私が分からない。私は量子力学や相対論の専門家じゃないので間違いがあったら教えてください。

観測理論とシュレディンガーの猫

観測理論は第1話で双葉理央が桜島麻衣が人に見えなくなるという思春期症候群の解釈をするために持ち出した理論。物理学的には量子力学における量子の重ね合わせが、観測することによって波動関数の収縮(コペンハーゲン解釈)を起こし、量子の状態が一つに定まるというものだ。

言ってしまえば「観測しない限りは存在しない」とも言える。これが麻衣が人から見えなくなった理由だと理央は考えている。実在論ではなく認識論の世界とも言える。巨視的非実在性は有り得ないと思われるかもしれないが、数年前に巨視的非実在性もあり得るという論文が発表され、巨視的(もちろん人間の大きさのレベルではないが)非実在性は存在する可能性が高まっている。

観測問題の分かりやすい例は、理央が例示したようにみんな大好きシュレディンガーの猫だ。50%の確率で放射線が出る放射性物質ガイガーカウンターを用意して、猫を箱に入れておく。ガイガーカウンターが作動したら毒ガスが撒かれるように設定すると、観測するまで猫が生きているか死んでいるかの2つの状態が重ね合わさって存在していることになるという思考実験である。

人間が観測することによって猫の状態が決定されるというのは不可思議なように感じる。カントのコペルニクス的転回ではないが、現象に人間の意識が介在することになってしまう。ただここで問題になるのは「観測」とは何かということで、人間が観測しなくても例えばガイガーカウンターの作動を観測とみなせば、猫の状態は一意に定まる。現在では他の粒子との相互作用も観測と同じであるという実験結果が得られ、発見者のセルジュ・アロシュは「個々の量子系の計測と操作を可能にした画期的な手法の開発」の功績でノーベル物理学賞を受賞されている(量子デコヒーレンス)。

しかし量子デコヒーレンスにしても量子状態から完全に脱却するわけでなく『人間の意識』の問題は残っている。最近ではQビズム(量子ベイズ主義)という波動関数は世界に実在するのではなく,個人の主観的な心の状態を反映しているだけという説も存在しており、『観測問題』を持ち出した理央は全くの荒唐無稽でもないだろう。そして咲太が空気を破壊したら麻衣が観測され、認識されるようになった。空気というものを波動関数だと思えば、空気の破壊は波動関数の収縮を意味し、空気そのものは主観的な心の状態を反映している。この点で『青ブタ』の観測理論の比喩は言い得て妙と言えるだろう。

ラプラスの悪魔量子もつれ

ラプラスの悪魔ラプラス変換でお馴染みのピエール=シモン・ラプラスによって提唱された概念である。『青ブタ』では4話で、理央が同じ6月27日を繰り返す咲太に、過去に戻ったのではなく未来予知により起こっている現象だと説明するときに使用した。

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も全て見えているであろう。

ニュートン運動方程式電磁気学マクスウェル方程式などで記述されるマクロな世界を全て計算すれば未来が一義的に決定されるという主張である。

しかしながら現在は量子力学という、状態を一義的に決定できない物理学(ハイゼンベルグ不確定性原理)が存在することが分かっているのでラプラスの悪魔は否定的に解決される。『青ブタ』では1話から3話まで量子論的な設定が続いていたのに、4話で古典物理学的な概念を持ってきたのは、構成上あまり美しくはない。

ただし波動関数の収縮(コペンハーゲン解釈)に対する説明としてエヴェレットの多世界解釈があり、これは収縮は起こらず観測が行われると世界が分岐するという解釈である。観測者は、分岐した世界の中でただ一つの世界を知覚する。SFではいわゆるパラレルワールドなどと説明されることが多い。収縮をもたらさずあり得る可能性を全て記述する多世界解釈はすなわち決定論的な手法であり、ラプラスの悪魔的とも言える。つまり量子力学古典力学の対比だけでなく、『青ブタ』の1話から3話はコペンハーゲン解釈、4話から6話はエヴェレットの多世界解釈の世界観と言えるかもしれない。

そして6話では朋絵が咲太を引き連れて同じ時間を繰り返したことを理央は量子もつれだと説明している。量子もつれ量子エンタングルメントともいい、2つ以上の量子が相関を持つという現象である。例としては量子テレポーテーションが挙げられる。エンタングル状態にある2つの粒子の片方を遠くに運び、一方を観測すると、(結果的に)もう一方の状態も決定する。量子が瞬間移動したように見えるためテレポーテーションと呼ばれるが、光の速度を超えて情報を移動させることはできない(EPRパラドックス)。なぜなら片方に測定結果を伝えない限りは、量子状態を再現できないからだ。

そしてもう一つ重要な量子もつれの応用が量子コンピュータだ。量子コンピューターは量子ビットの重ね合わせとビット同士の量子もつれによって特定の問題を高速で計算を行えるコンピューターである。重要なのは量子コンピューターはエヴェレットの多世界解釈の応用だということを提唱している科学者が多いことだ(ただし実際に多世界解釈量子コンピューターの原理と言えるかは疑問)。しかし、量子もつれというキーワードからも朋絵のエピソードは多世界解釈的だと考えられるだろう。

量子テレポーテーション

7話で理央が2人存在したときに、それを説明するために理央が使用したのが量子テレポーテーションである。物理学的な量子テレポーテーションについては前項を参照してほしい。2つの人格が量子もつれ状態にあって、遠隔的にもう片方の人格が観測されることによって出現しているという。しかしながら述べたように量子テレポーテーションは瞬間移動ではないし、一つの量子が分裂するという現象でもない。

したがって『現時点では』あまり上手く現象を説明できていないなと感じている。また追記します。