勝海麻衣のCMは自粛すべきなのか?本当に作品に罪はないのか?
フリーライターの赤木智弘氏が、銭湯絵師見習いの勝海麻衣さんの出演するイヤホンのCMを自粛しろというネット民の言動をBLOGOSで批判した。
簡単に勝海麻衣さんの騒動を解説すると、彼女の作品に多数のパクリが認められ、さらに勝海氏の師匠である丸山清人氏の元弟子であった湯島ちょこさんが、勝海氏が来て、弟子関係を解消させられたと訴えたものである。現在は銭湯絵師業界の確執騒動にまで発展している。
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赤木智弘氏の主張
BLOGOSによれば赤木氏の主張は次の通りである。
ピエール瀧氏のときは、出演作品やCDなどの自粛が相次ぎ、ネット世論は「作品に罪はない」と論じていた。勝海氏が出演しているCM作品、ピエール瀧氏が出演している各種作品。同じ出演作品であるにも関わらず、かたや自粛を求め、かたや自粛を批判するというのはダブルスタンダードではないだろうか?
またダブルスタンダードでなければミソジニー(男尊女卑思想)ではないかと説いている。
同じように、新井氏や瀧氏が男性だから「罪はない」。勝海氏が女性だから「打ち切れ」というなら、それはミソジニーだろう。
なお、赤木氏はCM作品のことに対してのみ語っているのであって、その他作品のことについては論じていないとTwitterで補足している。
下記の記事に関してですが、記事をちゃんと読んでいただければわかるように、「作品」とは勝海氏が出演したCMのことを指しています。
— 赤木智弘@うちまかロス (@T_akagi) April 14, 2019
と、ここに書いたところで、ここまで低いレベルの国語力や批判に対する倫理観の持ち主が、著者の固定ツイートを見るとは思えないな。https://t.co/oATevyEI4W
インターネットとは誰を指しているか?
赤木氏の主張にまず疑問があるのは、「インターネット」という主語は誰を指しているのだろうか。ピエール瀧の作品に罪はないと言っていた人物と、勝海麻衣のCMを打ち切れと言っていた人物は本当に同一人物なのだろうか。
インターネットは様々な言論の集合体であり、一緒くたに扱っていいものではない。私はピエール瀧の作品も自粛すべきだと思うし、勝海麻衣のCMも自粛すべきであると思う。それは芸能人は、世間に対しての影響力が大きいからで、罪を犯したものはある程度の社会的制裁を受けなければならないと思うからである。
もしダブルスタンダードと言うのであれば、ピエール瀧の作品は自粛しなくていいが、勝海麻衣のCMは自粛しろと言っている人を教えてほしい。
本当にCMに罪はないのか?
仮にそういう人が見つかったとして話を進める。それでも私はピエール瀧の作品は自粛する必要がなく、勝海麻衣のCMは自粛すべきであると考える人の気持ちは分かる。
それは、勝海麻衣の場合は芸術家としての作品を評価されてCMに出ているのであって、その芸術家としての根幹が崩れたときは、CMに起用する理由が存在しなくなるからだ。もし、勝海麻衣の起用理由が顔が美人だからというだけであれば、別に自粛する必要はない。だけどそんなわけはないはずだ。
ピエール瀧の場合は覚醒剤をやっていたが、やっていなかったら作品が評価されなかったかと言われれば違うだろう。多少は貢献しているかもしれないが、ちょっと嗜んだからといって急激に才能が開花するわけでもない。
一方で勝海麻衣の場合は、一部の絵は構図などが完全に他者に依存しており、彼女自身の作品だと言える部分が極めて少ない。したがって剽窃があった時点で、彼女の芸術家としての名声は急落したと言ってもいい。そのような状態でCMに起用する価値があるのか甚だ疑問である。よってCMの価値を落とさないためにも、勝海氏の部分をカットするのは当然の対応に思える。
まとめ
ネット民を十把一絡げにして扱い、不祥事も切り分けることなく一緒くたに扱い、批判するのはおかしいと思う。赤木氏の言っているように「こうした問題を一つ一つ、ネットの時勢に流されず、自分の頭でしっかりと丁寧に考えること」が重要だろう。