アニメ『どろろ』11話感想 - 現代にも通じる「ばんもん」
アニメ『どろろ』第11話「ばんもんの巻・上』感想です。
前回あらすじ
醍醐領内のある村では、村人が湖に棲む妖怪の犠牲になっていた。多宝丸は、側近である兵庫・陸奥とともに村人のため妖怪の退治を買って出る。
第11話あらすじ・感想
蟹の化物を退治した百鬼丸は多宝丸と言葉を交わす。どろろは多宝丸から化物を退治した駄賃をせびるのだった。醍醐領内に入ったどろろと百鬼丸は、発展した豊かな街に驚かされる。2人は演劇を観劇する。それは領主の景光を讃えるものだった。百鬼丸が普通に喋り始めててなんだか新鮮だった。
醍醐領内には琵琶丸もいた。彼は景光が討伐した鬼神の見物にこの地を訪れたらしい。どろろと百鬼丸は、朝倉氏との国境の砦跡地に残る巨大な木塀「ばんもん」の存在を聞く。ばんもんは元来、朝倉氏の侵攻を退けた塀だったが、未だに朝倉氏との一触即発の場所となっていて、夜には化物が出没するようだ。
そこで助六という子供に出会う。彼はかつてばんもんの向こう側に住んでいたが、急にばんもんが建造され村や仲間を失っていた。その話に同情したどろろと百鬼丸は化物退治を請け負う。現れたのは九尾の大軍だった。あまりの数の多さに倒してもきりがなく苦戦する百鬼丸。そんなとき助六がばんもんの向こうへと走って行ってしまう。
助六を追いかけるどろろだったが、助六はすでに朝倉氏に捕らえられていた。一方で、百鬼丸は、合体して巨大化した九尾に取り押さえられてしまうが、そこに現れたのは景光だった。2人は再び相見える。
どろろが連載されていたのは1967年で、このばんもんの巻はベルリンの壁(1961年建造の東ドイツと西ドイツを分断する壁)や板門店(1953年に設置された韓国と北朝鮮を分断する門)を風刺したものだとされている。板門店では2018年に韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩労働党委員長が会談したことは記憶に新しく、またアメリカのトランプ大統領がメキシコ国境に壁を建設することを公約に掲げており、現代にこれをリメイクすることは、とても示唆的なものだと考えられる。
さて醍醐景光と百鬼丸が再び出逢ったのだけれども、この先どう展開していくのか、オリジナル展開が存在するのかは気になるところだ。実際、百鬼丸ひとりを犠牲にすれば、村人達が救われるのであれば、その選択は必ずしも間違いとは言い切れないような気がする。似たような例で言えばトロッコ問題*1があるだろう。マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』という本でも話題になった。最大多数の最大幸福ならは百鬼丸を始末すべきだろうけど、本当にそれでいいのだろうか。
*1:静観すれば5人が轢かれるが、レールを切り替えれば5人は助かるが1人が轢かれるという状況で、レールを切り替えるべきかという道徳的問題